【機材遍歴①】昭和DTM回顧録:カセットMTRから始まった宅録への情熱

この記事は、昭和の宅録から最新のマルチエフェクターまで!理想のサウンドを追い求めるマニアックな機材探求の旅です。【第2部:エレキおじさんの機材遍歴とDIY(全6話+番外編)】の第1話です。

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「それが、いったい何になるんだ?」母に問われた15万円の借金とワープロの奇跡

こんにちは、エレキおじさんです。

前回は、若き日のバンド活動や、地元のコンテスト「Rock Jam」での優勝エピソードなどをお話ししました。 今回はそこから少し時計の針を進めて(あるいは戻して?)、私が独身時代にドハマりした「パソコンと音楽」のお話です。

今でこそ当たり前になったDTM(デスクトップ・ミュージック)ですが、昭和の終わり頃、それはまだ「魔境」のような世界でした。

津田沼ラオックスと「カモンミュージック」

独身時代、私は千葉県の寮で生活をしていました。 当時、パソコンという未知の機械に興味を持ち始め、寮の先輩とよく津田沼のラオックスへ通っていました。

先輩はいわゆるオタク気質で、当時流行り始めていた「エロゲー」に夢中。秋葉原の怪しげなソフト屋さんに出入りしては、ニヤニヤしていたのを覚えています(笑)。

私はといえば、ゲームそのものよりも「パソコンで何ができるのか?」という純粋な好奇心のほうが強かったんです。 当時手に入れたのは、伝説の名機NEC PC-8800シリーズ(通称:ハチハチ)。最初はゲームをして遊んでいましたが、ある時、衝撃的な事実に気づきます。

「これを使えば、エレキギターのバック演奏(オケ)を自分で作れるんじゃないか……?」

そこからはもう、止まりません。 インターネットなんてない時代です。本屋で音楽の専門書を買い漁り、「何が必要なのか?」「どう繋げばいいのか?」を必死に調べました。 そして、秋葉原の楽器屋さんを何軒も巡り歩き、ついにその「魔法の機材」を見つけたのです。

ギターローンがあるのに、さらに15万円…

見つけてしまったら、買わずにはいられません。 当時、まだギターとアンプのローンが残っていたにも関わらず、私はまたしてもローンを組んでしまいました。その額、約15万円。

手に入れたのは、当時の「宅録少年」たちが憧れた三種の神器です。

  • ソフト: カモンミュージック(TDM)のシーケンスソフト
  • 音源: Roland MT-32(あのアナログっぽいシンセ音が最高でした)
  • リズムマシン: YAMAHA RX7(ドラムの迫力が違います)
  • MTR: TEAC(ティアック)の4チャンネル・カセットMTR

ピアノが弾けない私は、鍵盤を弾いて入力することができません。 じゃあどうしたか? 「ステップ入力」です。

バンドスコアを見ながら、パソコンのキーボードで数値や音符を一つ一つ打ち込んでいく。 「ドッ、タッ、ドッ、ドッ、タッ…」

気の遠くなるような作業ですが、それを再生した瞬間、MT-32とRX7から高中正義のサウンドが飛び出してくるのです!

定番の『BLUE LAGOON』『Ready To Fly』はもちろん、あの名盤「虹伝説」の壮大なバラード『You Can Never Come to This Place』まで……。 自分の手で打ち込んだバック演奏が流れ、そこに愛機SG1000の音を重ねてTEACのMTRに録音する。もう、寝る間も惜しんで没頭しました。

TDLのロープウェイと、ワープロの謝罪文

しかし、現実は非情です。 機材を買った満足感とは裏腹に、ローンの支払いで生活は火の車(苦笑)。

そんな時、田舎の母親が「千葉か東京に遊びに行きたい」と言ってきました。 私はここで、起死回生の策を思いつきます。 「親孝行をして、その流れで借金の援助をお願いしよう!」

当時、開園3周年で盛り上がっていた東京ディズニーランドへ母を連れて行きました(当時私は千葉に住んでいたので案内はお手の物です)。

母は初めて見る夢の国に大喜び。 そして、当時パーク内にあった「スカイウェイ」というロープウェイに乗った時のことです。 眼下に広がるファンタジーランドの景色を眺めながら、二人きりのゴンドラの中で、私は意を決して切り出しました。

「……実は、ちょっとお金に困っててさ」

母はため息をつきつつも、「父親に話をしてみなさい」と言ってくれました。 夢の国の空中散歩が、私にとっては懺悔の時間になってしまいましたが、母の機嫌が良かったのが救いでした。

さて、ここからが問題です。 私は字がとても汚い。借金のお願いを手書きで書くのは忍びないし、何より恥ずかしい。 そこで、当時出始めだった「インクリボン式のワープロ」を使って、父への手紙を書きました。

これが意外な効果を生みました。 昭和一桁生まれでデジタルに疎い父は、私の手紙の内容よりも「ワープロで整った文書が送られてきたこと」に感心してしまったのです。

「ほう、あいつも千葉でこんな『最新技術』を使いこなせるようになったか。大したもんだ」

父は私が仕事か何かでワープロスキルを身につけたと勘違いし(実際は遊びの機材リストを作るためでしたが…)、快くお金を援助してくれたのです。

「( …… 私の名前)、それがいったいナニになるんだ?」

後日、実家に帰った時のことです。 私は借金を返済できた安堵感と、「俺の作った音楽を聴いてほしい!」という承認欲求でいっぱいでした。

「お母さん、これ聴いてよ!パソコンで作ったんだ」

私は自信満々で、苦労してステップ入力した高中正義のコピー音源(マイナスワン・オケ)を母に聴かせました。 シンセベース、ドラム、そして私のギター。完璧な出来栄えだと思っていました。

しかし、曲が終わった後、母がポツリと言い放ちました。

「……それで、それがいったいナニになるんだ?」

部屋の空気が凍りました。 父は「ワープロが使える息子」として評価してくれましたが、現実的な母には、この音楽が「ただの遊び」であり「生活の役には立たないもの」だと一瞬で見抜かれていたのです。

「そんなことして、お金になるの? ご飯が食べられるの?」

私は言葉に詰まりました。 ぐうの音も出ない正論でした。確かに、これは私の社会生活の何の役にも立っていない。ただの自己満足だ。 私はすごすごと機材の話を引っ込めました。

40年後の答え合わせ

あれから長い年月が経ちました。 当時の機材は手放してしまいましたが、あの時作った音源データだけは、今も大切にデジタル化して残っています。『BLUE LAGOON』も『You Can Never Come to This Place』も、聴くたびに当時の情熱が蘇ります。

親父、お袋、あの時は「何の役にも立たない」と言われたけれど。 見てください。 あの時の「パソコンへの興味」と「ステップ入力の根気」があったからこそ、60歳を過ぎた今、こうしてブログを書いたり、最新のデジタルアンプシミュレーターをいじり倒したりできているんです。

仕事の役には立たなかったかもしれないけれど、「定年後の人生を豊かにする」という意味では、あの15万円の借金も無駄じゃなかった……と、今なら胸を張って言える気がします。

(まあ、当時の自分に説教できるなら「ご利用は計画的に」と言いたいですけどね!)

次回は、そんな私がデジタルに疲れ、「やっぱりアナログだ!真空管だ!」と、ジャンクギターの再生や真空管アンプの沼にハマっていくお話です。

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