【第2話】不良の溜まり場と「借りパク」のストラト。僕らの青春は爆音の中にあった

皆さん、こんにちは。エレキおじさんです。 前回は「質屋の白いギター」という、ちょっと恥ずかしいデビューのお話を読んでいただきありがとうございました。

さて、中学生でギターに目覚めた私ですが、高校に入ると環境がガラリと変わります。 膝の療養中で時間があるのをいいことに、今日はそんな私の「若気の至り」満載の青春時代のお話にお付き合いください。

サッカー部を辞め、丸井の楽器売り場が「学校」になった

高校に入学してサッカー部に入ってみたものの、どうにも肌に合わずすぐに退部してしまいました。 行き場を失った私の情熱は、すべてギターに向かいました。

学校帰りに毎日のように通い詰めたのは、駅前の丸井デパートの楽器売り場。 そこには元バンドマンだという店員のおじさんがいて、売り物のギターを巧みに弾いてみせてくれるのです。それがカッコよくて、お金もないのに毎日通って眺めていました。

今にして思えば、高校卒業後に私がデパート(百貨店)に就職する道を選び、そこで20年も勤め上げたのは、この時の「デパートの楽器売り場のキラキラした空気」への憧れが、心のどこかに残っていたからかもしれません。

自分のギターがないのにバンド結成!?

当時、私の周りには少しヤンチャな友人が増えていました。 母子家庭の友人の家がいつしか溜まり場になり、そこにはなぜかドラムセットが持ち込まれていました。

「バンドやろうぜ!」

自然な流れで結成された4人組。ベース、ドラム、そしてギターが2人。 友人はグレコのテレキャスターを購入していましたが、私はというと、バンドで一番ギターが得意なはずなのに、自分のエレキギターを持っていなかったのです。

友人にテレキャスターの弾き方を教えながらも、内心では「自分の相棒」を欲してたまらない時期でした。

「借りパク」したサンバーストのストラト

じゃあどうしていたかと言うと、知人から借りたギターをそのまま自分の物のように使っていました。 今だから言えますが、ほとんど「借りパク」状態です(笑)。

借りていたのは、憧れのサンバーストのストラトキャスターでした。 自分の物ではないけれど、手にした時の高揚感は最高でした。アームを使ったプレイや、ハイポジションの弾きやすさに、「やっぱりエレキはこれだ!」と夢中になりました。

友人の家で、そのストラトと友人のテレキャスターを爆音で鳴らす毎日。 今思えば、近所迷惑もいいところですが、友人のお母さんは本当に良い人で、僕らを温かく見守ってくれていました。あの頃の「昭和の寛容さ」には感謝しかありません。

まさかの市民会館デビュー

当時はCAROLやクールスが大流行。リーゼントに革ジャン、そしてロックンロール。 地元の「ダンパ(ダンスパーティー)」にも顔を出し、少し危うい大人の世界を覗き見ながらも、僕らの中心には常に音楽がありました。

そんなある日、ダンパの主催者から「前座で出てくれないか」と依頼が舞い込みました。 場所はなんと、市民会館の大ホール。 借り物のストラトを抱えた高校生が、プロも立つようなステージに立つことになったのです。

演奏したのはCAROLの「ファンキー・モンキー・ベイビー」。 スポットライトを浴びた瞬間、アンプから放たれた音が広いホールに響き渡る快感。 手にあるのは自分のギターではないけれど、 「これだ。俺が生きていく場所はここだ」 そう確信した、熱い夜でした。

(次回、新聞に載った日と「返却の儀式」へ続きます)

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